言の葉の庭ーーー雨降る日にきっと読みたくなる小説
こんにちは。
今はまだ5月、過ごしやすい最高の気温が続く今日この頃ですが、あと1ヶ月もしないうちにあの季節がやってきますね。
そう、
梅雨がやってきます。
「梅雨、あるいは雨が好き!」そんなロマンチックな人には、私はほとんど会ったことがありません 笑
「雨が嫌い!」という人が多数派でしょう
私も最近までは、
傘を常に持ち歩かなきゃいけない…
整えた前髪は水分を含んでうねり出す……
靴は絶妙に濡れてものすご〜く気持ちが悪い………
なんなんだこの誰も得しない季節は!!!!!!!
そんな雨嫌いな私だったのですが、ある作品を読んで、見事にコペルニクス的展開が起こりました笑
それがタイトルにもある通り、
という作品です。
このえげつなく綺麗なグラフィックから、もしかしたら察しのついた方もいるかもしれません。
この作品を手がけたのは、みなさんご存知、新海誠 監督です。
そう、君の名は。で一世を風靡したあの、新海誠 監督です!(2回目)
私がこの作品に初めて触れたのは、文庫本という形でしたが、原作は映画だったようです(もちろん両方見ましたよ👌)
まずは予告映像をご覧ください
はい、君の名は。に劣らないこの作画もそうなのですが、私が何よりオススメしたいのは、この作品の世界観なのです。
以前、私の母は言いました。
「君の名は。観たんだけどさ、確かに絵は綺麗だったけど、ちょっと思ったよりも子供っぽかったかなー。」
なるほどなぁ、と。確かに、彗星が降ってきたり時代を超えて体が入れ替わったり…などというのは、少々ファンタジーが過ぎると思う人もいるのか…と。
私はそんな、「非現実的な作品はあんまりなー…」という方にこそ、言の葉の庭をオススメしたいのです。
さて、では、ネタバレには絶対にならないように、この作品の魅力を簡単に語ろうと思います。
には主に3つの美しさが詰まっています。
1 作画の美しさ
2 古典の美しさ
3 人の心の美しさ
それぞれ少〜しだけ説明します💁🏼
と言いつつも…1は言うまでもありませんね 笑
では2つ目、古典の美しさとはなんぞや?と。
はい、実は作中では、意味深に、そっと、短 歌 が詠まれるのです。
そのうちの1つがこれです。
なる神の 少しとよみて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ
(雷が少し鳴り響いて 曇ってきて 雨でも降らないだろうか あなたを留めたい)
やばいですよね、ええやばいです。(語彙力)
作中で描かれるこの奥ゆかしさは、なくてはならない大事な要素になっています
・3つ目
人の心の美しさ ですね。
この部分については、恐らく、新海監督が最も大切に扱っているであろうものなので、私からは触れずに、是非みなさんの感じるように感じていただきたいです。
・まとめ
実は、言の葉の庭の放映後、舞台である新宿御苑の来場者数が、しばらくの間凄いことになっていたようです 笑 まあこんなにも素敵な作品で、手軽に行けて、かつ綺麗な庭園が聖地ともなれば、当然のこと言えるかもしれませんね😌
私がたまたま先に見たのは文庫本でしたが、書籍と映画、好きな方を見ていただくのが一番だと思います。違いとしては、文庫本の方が、より細やかに人物たちの心情や情景描写が描かれています。映画の後に文庫本が王道なのかな?なんて思ったりもします 笑
最後に、この作品の主題歌、秦基博さんが歌うRainという曲。是非じっくり聞いて欲しいです。雨の日は欠かさず毎日聞いてるほど、私の大好きな曲です!
それでは、ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
本を読み終えると悲しくなるあの現象について語ってみた
例えば、こんな経験はあるだろうか。 毎週楽しみにしていたドラマの最終回を見終えて、すっきりとした気持ちになるはずだったのに、なぜかどうしようもない悲しさに襲われたことは。 気になってまとめ買いした漫画を一気に読み終えて、もうこの先はないのだと、あんなに楽しかった物語も、人情味あふれていたキャラクター達も、二度と動き出すことはないのだと、胸が苦しくて泣きそうになったことは。
今までにも、友達や親に、心から勧めたくなるほど素敵な作品を、数え切れないほどに読んできた。 そして、数え切れないほどに、このどうしようもない虚無感を味わってきた。 本当につい最近まで、作品に触れることが大好きでもあり、同時に、作品を読み切ることが大嫌いだった。 それでも、そんな矛盾を抱えることはわかっているのに、本を読む手は止まることを知らない。
自分の周りには、この感覚を共有する人はいなかった。だから、この不思議な感覚は、自分だけのものだと思っていた。 でも、ふと思い立って調べてみると、どうやらそうでもないとわかった。数年前に、一大旋風を巻き起こした朝ドラ『あまちゃん』。この日本全国から愛された作品の完結は、「あまロス」として話題になっていたらしい。(全然知らなかった…)
さて、長くなってしまったが本題に入ろう。この、作品を見終えた後に来る虚無感のことをPADSと呼ぶようだ。正式には
Post Anime Depression Syndrome
というらしい。ツイッターでも検索してみると、このPADSを味わいたくないがために、アニメやドラマの最終話をわざと見ないようにしているという意見もあった。なるほど、確かにそうすれば虚無感には苛まれないかもしれない。
えっ、それでいいの?
と言わざるを得ない…いくら何でも強行突破すぎないかと。それでは本末転倒ではないかと。
僕がこの題材を取り上げた理由はほかでもない。このRPGの負け確定イベントのようなPADSとの付き合い方に、一案を投じようと思ったからだ。その一案とは……
「この虚無感を、受け止め続ける」
「は?」
そう思ったあなたはきっと正しい。それ、解決策じゃなくなくない?
しかし聞いてほしい。作品を髄まで楽しむこととそのあとにPADSAに襲われることは言うなれば表裏一体。どちらかだけなんてことはあり得ないのだ。だからと言って、先に挙げた人のように、最終話なんていう、作者の思考の血肉の集大成をスルーするなんてことは作品に対する冒涜と言える。
だったら結局、この結論に至るのだ。一見では他に選択肢がないから、そう思われてしまうかもしれない。しかしこうも考えられるのだ。
この悲しさは、このやるせなさは、《自分がそれだけこの作品に陶酔していたことの何よりの証》であると。だからどうか、受け止めてあげてほしい。そうすればその作品は、真の意味であなたの一部になってくれるはずだから。