本を読み終えると悲しくなるあの現象について語ってみた
例えば、こんな経験はあるだろうか。 毎週楽しみにしていたドラマの最終回を見終えて、すっきりとした気持ちになるはずだったのに、なぜかどうしようもない悲しさに襲われたことは。 気になってまとめ買いした漫画を一気に読み終えて、もうこの先はないのだと、あんなに楽しかった物語も、人情味あふれていたキャラクター達も、二度と動き出すことはないのだと、胸が苦しくて泣きそうになったことは。
今までにも、友達や親に、心から勧めたくなるほど素敵な作品を、数え切れないほどに読んできた。 そして、数え切れないほどに、このどうしようもない虚無感を味わってきた。 本当につい最近まで、作品に触れることが大好きでもあり、同時に、作品を読み切ることが大嫌いだった。 それでも、そんな矛盾を抱えることはわかっているのに、本を読む手は止まることを知らない。
自分の周りには、この感覚を共有する人はいなかった。だから、この不思議な感覚は、自分だけのものだと思っていた。 でも、ふと思い立って調べてみると、どうやらそうでもないとわかった。数年前に、一大旋風を巻き起こした朝ドラ『あまちゃん』。この日本全国から愛された作品の完結は、「あまロス」として話題になっていたらしい。(全然知らなかった…)
さて、長くなってしまったが本題に入ろう。この、作品を見終えた後に来る虚無感のことをPADSと呼ぶようだ。正式には
Post Anime Depression Syndrome
というらしい。ツイッターでも検索してみると、このPADSを味わいたくないがために、アニメやドラマの最終話をわざと見ないようにしているという意見もあった。なるほど、確かにそうすれば虚無感には苛まれないかもしれない。
えっ、それでいいの?
と言わざるを得ない…いくら何でも強行突破すぎないかと。それでは本末転倒ではないかと。
僕がこの題材を取り上げた理由はほかでもない。このRPGの負け確定イベントのようなPADSとの付き合い方に、一案を投じようと思ったからだ。その一案とは……
「この虚無感を、受け止め続ける」
「は?」
そう思ったあなたはきっと正しい。それ、解決策じゃなくなくない?
しかし聞いてほしい。作品を髄まで楽しむこととそのあとにPADSAに襲われることは言うなれば表裏一体。どちらかだけなんてことはあり得ないのだ。だからと言って、先に挙げた人のように、最終話なんていう、作者の思考の血肉の集大成をスルーするなんてことは作品に対する冒涜と言える。
だったら結局、この結論に至るのだ。一見では他に選択肢がないから、そう思われてしまうかもしれない。しかしこうも考えられるのだ。
この悲しさは、このやるせなさは、《自分がそれだけこの作品に陶酔していたことの何よりの証》であると。だからどうか、受け止めてあげてほしい。そうすればその作品は、真の意味であなたの一部になってくれるはずだから。